足るを知る SDGsより持続可能な満足Sustainable Satisfaction

「多くを所有することが必ずしも富なのではないと知りなさい。富とは心の満足のことを言うのである。1億円を欲する人には1000万円は貧しい。しかし、100万円を欲する人には1000万円は豊かである。豊かさには二つある。富を増すこと、あるいは欲を減らすこと。今、富を増すことができないなら、欲を減らすことだ。もし富を得ることの目的が快楽にあるなら、快楽は富みなしにも得られる」(内村鑑三『キリスト教徒の慰め』第5章「貧に迫りし時」の抜粋現代風言い換え)。

貪欲は結局、心を満たしません。むしろ人生を争いで満たします。

今、「持続可能な開発」が叫ばれています。それは、人間の貪欲を抑止せず、今の生活レベルは維持しよう、いやAIやテクノロジーを使って生産力を高めていこう、そうして世界中の人の心も体も満たそう、というムーブメントです。そんなことが本当に持続可能なのでしょうか。

SDGs持続可能な開発目標)の17の目標は、一つ一つはもっともですが、よくよく考えれば互いに矛盾しています。たとえば、世界80億の人々の「貧困をなくそう」という目標を達成しようするなら、「海の豊かさ守ろう」も「陸の豊かさも守ろう」という目標は達成できません。それどころか地球の資源は枯渇し、海(水)も陸(土)も疲弊します。実際にそうなってきています。

もし本気で世界中の「貧困をなくそう」とするなら、まずは先進諸国の人々の貪欲を抑止し、今の生活レベルを最低でも半分以下に落とさなければならないのです。

聖書はこう語ります。「この貪欲な犬どもは、足ることを知らない。彼らは、悟ることも知らない牧者で、みな、自分かってな道に向かい、ひとり残らず自分の利得に向かって行く」(イザヤ 56:11)。

現代に必要なのはテクノロジーによる「持続可能な発展」ではなく、「持続可能な満足」なのです。モーセの第十戒「貪ってはならない」を旨とすること、「足るを知る」ことが幸せの道です。神が創造された自然界は、もともと持続可能な循環の世界だったのです。