イエスの時代の読み書き

週に一度、数名の姉妹たちと読書会をしています。今読んでいる「ユダヤ人イエスの福音-ヘブライ的背景から読む」(ミルトス)から。

四福音書はイエスの死後およそ40年以降に書かれたので、イエスに関する情報はそれまでに口頭伝承で伝えられてきたと仮定する学者が多いのです。ユダヤ人社会がどれほど教育に価値を置いていたかを知らない聖書学者の中には、「ガリラヤの労働者階級出身であったイエスは読み書きができなかった」という誤解もあるそうです。それには驚きましたが、私にも、福音書の記者たちは随分と時間が経った後でも聖霊の力によってイエスのお言葉やなされたことを思い起こすことができたのだ、と思い込んでいる面がありました。しかし、その時代のユダヤ人の多くが読み書きできたと認められるなら、イエスと直に接した人の中には、語られた言葉や目撃した奇蹟をその場で、またはその日のうちに書き留めておこうとした人がいたはずです。見たこと聞いたことを、そのまま記録に残すように促された人。そうかと言ってノートやペンがあったわけではない。

面白いのは、その時代、メモ代わりに陶片が使われていたようだということです。陶片ならどこにでも落ちていているし値段もタダ。事実、遺跡からは文字の書かれた(刻まれた)陶片が多く出土しています。もっと上等なパピルスなどを使う人もいたかもしれませんが、そうやって、イエスのお言葉がその場で書き取られていた可能性があるというのです。

5千人集まった中には、文字通り食べることも忘れてイエスのメッセージを必死に書き留める人がいたと想像します。また、弟子に書記がいたとは伝えられていませんが、マタイなどは職業柄、記録を取るのはお手の物だったかもしれません。 神ご自身、神の指で二枚の石板に律法を書かれました。人が大事なことや覚えておきたいことを書き留めるという行為は、神から受けた物だと思います。み口から出たばかりのイエスの語録が集められ、後に福音書に記されたのではないかと思うと、御言葉に主の体温を感じるのです。(YaK)