Ⅱサムル12章23節
「しかし今、あの子は死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるだろうか。私があの子のところに行くことはあっても、あの子は私のところに戻っては来ない」。あきらめずに祈り続けることは大切です。でも御心がはっきりしたら、潔く執着を断つべきです。主は新たな祝福を用…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
聖書のことばとショートメッセージ
「しかし今、あの子は死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるだろうか。私があの子のところに行くことはあっても、あの子は私のところに戻っては来ない」。あきらめずに祈り続けることは大切です。でも御心がはっきりしたら、潔く執着を断つべきです。主は新たな祝福を用…
「私は主の前に罪ある者です」。ウリヤ謀殺の罪をナタンに暴かれたダビデは、即座に罪を告白しました。ただ主を畏れたのです。もし弁解し、責任転嫁し、自己正当化しようとするなら、自分を闇に閉じ込めます。闇は恐怖を生み出し、新たな罪を培養します。しかし、一時の恥辱を恐れず、直ちに悔い改めるなら、光は回復しま…
「目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます」。カイザリアに幽閉されていたパウロは、地中海に沈む夕日を見つめたことでしょう。その先にはローマがあります。そして2年後、念…
「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」。こう語るパウロは、途方もない苦しみを耐え抜いた人です。耐え抜けたのは、将来、相続することになる主の栄光がどんなに偉大なものか、よく知っていたからです。その日の喜びを思えば、今の苦しみ…
「私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」。主と共に苦しむことは、クリスチャンの喜びです。その苦難が私たちを鍛え、主の似姿に変えていきます。苦難を忌避すれば成長は期待できません。何が起ころうと動ぜず、泰然と構…
「私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます」。私たちは悠久の宇宙にあっても、「宇宙の孤児」ではありません。宇宙の創造主が私たちの父であり、私たちは創造主の子供です。私たちは父が遣わされた聖霊によって、「アバ」と呼べるのです。孤独、無力、空虚を感じることがあっても、父の眼差しは常に注がれています。…