ローマ4章18節
「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました」望みえないときこそ、信仰です。でなければ、いつ信仰を働かせるのですか。信仰は、御言葉に対する知的同意ではありません。単なる平穏無事状態でもありません。信仰とは、暮らしの中で、現実に主の力と憐みを体験することです。試練の中でも悲しみに浸らず、絶望に身を任…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
聖書のことばとショートメッセージ
「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました」望みえないときこそ、信仰です。でなければ、いつ信仰を働かせるのですか。信仰は、御言葉に対する知的同意ではありません。単なる平穏無事状態でもありません。信仰とは、暮らしの中で、現実に主の力と憐みを体験することです。試練の中でも悲しみに浸らず、絶望に身を任…
「主が罪を認めない人は幸いである」。「主が罪を認めない人」とは、信仰の原理で義とされた人です。その人は神の家族です。神の家族は、主に守られています。もはや何も恐れる必要はありません。ですから、信仰の原理以外の方法で、幸せになろうとしてはなりません。罪があるなら、隠さず告白して、主と和解しましょう。…
「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです」。これが主の恵みの原点であり、罪人の希望の源です。ここに立ち返ることが悔い改めです。ここに立てば、平安も喜びも回復します。私たちが高慢、卑屈、不安、無気力など、不信仰な状態に陥ってしまうのは、十字架…
「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです」。自分の行いを心で誇ってはいませんか。まだ自分の罪深さがわかっていないのです。逆に、自分のような罪深い者は救われないと…
「あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました」。恵みとは、神からの無償の贈り物です。イエスをキリストと信じるだけで受け取れます。それは罪の赦しであり、永遠のいのちであり、聖霊の力であり、人生の癒しであり、神の国のあらゆる祝福です。真理に歩み続けたから、恵みが注がれるので…
「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる」。神の愛は、独り子を与えるほどの愛です。もはや「私は愛されていない」などとは言えません。神の聖さは、すべてを隔絶しています。夢にも「私は正しく聖い」などとは誇れません。主の愛と聖さを恐れよ。これが人間にとってすべてです(伝道者2:13)。主…