ロマ4・25
「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ロマ4・25)。主の十字架と復活が、死をいのちに変え、虚無を希望に変えました。憎しみと呪いの象徴であった十字架が、愛と祝福の象徴に変わったのです。この感動が希薄になれば、信仰の喜びも意欲も、次第に失われ…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
聖書のことばとショートメッセージ
「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ロマ4・25)。主の十字架と復活が、死をいのちに変え、虚無を希望に変えました。憎しみと呪いの象徴であった十字架が、愛と祝福の象徴に変わったのです。この感動が希薄になれば、信仰の喜びも意欲も、次第に失われ…
「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです」(ロマ4・20?22)。主は常に約束に誠実です。あなたが不忠実でも、主は変わらず誠実です。それゆえ…
「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました」(ロマ4・18)私たちは、このアブラハムの信仰を受け継いでいます。望みえないときこそ、信仰の出番です。でなければ、いつ信仰を働かせるのですか。信仰は、まだ見ぬものを確信させます。試練に遭っても悲しみに浸らず、絶望に身を任せず、全能の主を見上げます。信仰は不…
「主が罪を認めない人は幸いである」(ロマ4・8)。「主が罪を認めない人」とは、信仰によって義とされた人です。その人には主が味方してくださいます。主が味方なら、何を恐れる必要がありますか。しかし、罪を隠している人は、神を敵にしています。神を敵に回したら、どうやって幸いを得られますか。信仰以外の道で幸せに…
「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです」(ロマ4・5)。これが神の恵みであり、クリスチャンの希望の原点です。この原点に立ち返ることが悔い改めです。原点に立てば、平安と喜びは回復します。高慢、落胆、憤り、不安、無気力など、不信仰モードに陥ってい…
「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです」(ロマ3・27)。自分の行いを少しでも誇る人は、まだ自分の罪の深さがわかっていないのです。十字架がわかれば、とても誇れませ…